自宅近所にデイサービスがあります。

大手のデイサービスで大勢の方が利用してます。
毎朝、利用者さんを観るたびに母親の介護を思い出します。

車で自宅まで迎えに行き、降車する時、当たり前ですがすんなり車から降りる人は1人もいません。
殆どの方は、足腰が弱って介助されてますが、車椅子の方もいらっしゃいます。

「この人は腰が悪かった」「あの人は膝が悪かった」「あそこの人は怒り過ぎだった」。

30年前、40年前の肩こりや腰痛を我慢して今がある。
「あの時、我慢しなければ、そこまで悪くならなかったのに」と、複雑です。

来院されるお客さまの中にも、「この方、将来認知かな」「膀胱から腎透析かな」と何となく感じます。

家族も、大変だろうと思いながらも、ご本人も今はその事を知るすべもない。

頭に触れると、その方の未来図が見えて来ます。

誰でも、未来のことは判らないと云いますが、このまま同じ思考で生活していると、何れ感じたような体調変化になってきます。

昔、父親も同じことを話していました。

父親は、将来の病気や臨終が判り患者さんから信頼されてました。
半年後、1年後の臨終がピッタリ判るようで、医師なのに変わったカリスマ性がありました。

何となく感じたことが現実になってしまう。

それだけ、人間からストレスのオーラが出ているということです。

私たちは、将来、厳しい体調不良にならないよう、根深いストレスを抜くのが仕事。

長年、痛みやしびれを放置すると将来もっと体の不自由で悩む。
それを阻止するため、体調改善の調整を探求しています。